文明開化と包装

缶詰は、ナポレオンが軍需用に作ったと言われていますが、それは缶詰ではなくて、瓶詰めでした。缶詰は加熱殺菌をするようになって飛躍的に保存性が向上しました。日本では缶詰や瓶詰めは明治から始まりました。1870年代には北海道で自動製缶機を用いた缶詰の生産が始まり、急速に需要が高まったのは日清日露戦争からです。瓶の方は1870年代に手吹き瓶が生産されていましたが、需要が高まったのは1900年代に入ってからになります。ビール、洋酒が流行ってから瓶の方の需要も大きく高まりました。

大正時代には自動製瓶機が導入されました。瓶が広まるまでは、清酒は酒屋に手桶や徳利を持っていき量り売りをしていたようです。1900年頃には1合、2合、4合、1升瓶の瓶詰めが発売され、その後、自動製瓶機で一升瓶が量産されました。この頃からお酒の一升瓶は普及していきました。紙に関しては1900年代に入ると化粧品や医療品の美術印刷紙器が製造されました。しかし、それよりも早くにダンボールの製造も始まっており、また、ブリキ印刷やセロハンの製造なども始まりました。一方で量り売りやバラ売りから大形の容器で購入することも多くなりました。大正時代になって、キャラメルを放送する紙サック函が開発されたことによって10粒、20粒を小箱に入れて個人用に発売がされるようになり、いわゆる個装の時代になったといえます。明治、大正時代はガラス、紙、金属缶などの生産設備が導入されましたが、ただ、この当時のモノはあまり品質が良くなかったのです。流通の方も対面販売に限られていて、包装をするのは人の手でやっていました。

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