江戸時代の包み

江戸時代というと商業が発展して、輸送というものが必要となってきたかと思います。地方から都市部への輸送や船で運んだり、馬や馬車で運んだりするのに、しっかりとした包装が必要となってきたそうです。陸路や海路もどんどん広がり、大型輸送の必要性も出てきたそうです。現在のコンテナーと呼ばれるものが出てきたそうです。商品には生産地や商品名が必要となってきたそうです。これはブランド名というものになるかと思います。これらを表示する必要が出てきて、情報伝達機能が包装に求められるようになったそうです。

江戸時代の商人の文化として、清酒、醤油に樽を使い、穀類や塩には叺、俵、麻袋が発達したそうです。オランダや唐との交易には俵・樽・桶・櫃を使用したそうです。庶民は生活で使うものとして軽く運びやすいものを使用したそうです。樽、火桶、水桶の木製容器が軽くて運びやすいと広く浸透したそうです。風呂敷というは、奈良時代に蒸し風呂の敷物として考案されたそうです。包む目的で使われるようになったのは、江戸時代からだそうです。風呂敷は中身の大きさも関係なくどんな形のものでも包めるということで必需品となったそうです。日本人は手先が器用なので、どんなモノでも包めるというのも定着した理由だそうです。また上方商人が風呂敷に商標を染め抜いて東海道を下って、街道の人々から評判をとって販売促進をしたというのは有名な話だそうです。最近、風呂敷ブームがきているそうです。海外のデザイナーとコラボをして模様もヨーロッパ調のものも増えてきているそうです。ワインを包んだり、結んで形を作ってバッグのように使っている人もいるそうです。風呂敷は日本特有の文化だそうなので、大切にしたいと思います。

江戸時代の包み